そうしたほうが都合がいいからさw

                        胴長座高市の旅はつづく。

フジテレビ復活の鍵。

 

 

どうやら赤字を隠せなくなってきたところを見ると黄色信号だろうか。

とりあえず不動産事業で保たせているというのは、随分と前から言われてきたことである。現在でも技術スタッフやドキュメンタリー番組の評判が高いだけに、このままでは勿体ない。

 

経費節減に関しては、他業種なら十数年前から当たり前のことだが、あの子会社の集合体となると、やり過ぎで間違った方向へ進む危険性がある。それは削っちゃいけないところまで、一貫して予算をカットしてしまい、番組制作のクオリティを落とすことに。そして、その失策が業績悪化に直結し、負のスパイラルへ。かと言って現場責任者に、調整の権限を与えれば、また使い込む癖が出てくるだろう。すると、癒着した出入り業者どもが、手土産片手にハイエナのように群がってくる。

もう分かり切ったことだが、結論は本体の人件費と役員を一時的に、バッサリと切るほうが、売り物へのダメージは少ない。

 

いずれにしても爆死連続のドラマ部門だけを言えば、致命的に凡庸で、深みのないセリフだらけに。どの程度の素人脚本家を起用しているかは、ながら観でも伝わってくる。おまけに視聴者との共通認識の有無すら怪しい構成。他局のを見ても、レベルは知れているが、ここはベタで進行させなきゃいけないシーンという場合もあるのに、つまらない小ネタをダラダラ挟んだり。きっと場当たりの思いつきで、適当に書いているのだろう。それでは、まったくクライマックスへ向かったリズムにならず、ファンの期待は萎えていく。

 

かつての良作を観れば分かるが、その内容に先天性の絶対音感が存在する。それは選ばれし本物のクリエイターだけが持つ才能。要は飽食の時代に育った30代前後の凡人シナリオライターでは、あまりにも荷が重すぎるのではないだろうか。恐らく40代後半ぐらいのスタッフ同士なら、話さなくても意思疎通はスムーズに。まだ感受性も豊かで、抑揚や緩急のつけ方も、自然と身に着いている世代のはず。つまり若さを尊ぶ異常な伝統的人選が問題で、お客である視聴者のボリュームゾーンが、40歳と70歳辺りとしたなら、自ずと適任のメンバーは決まってくる。

どうであれ報道スポーツ、音楽バラエティのほうは、それなりに楽しめるように、人間の脳は柔軟にできているから、さほど心配にならない。

しかしドラマと映画だけは、縁故や世渡り上手の駄作メーカーを集めて、どうにかなるものではない。